山が待っている。

「流産」という山から、わが子を腕に抱いて下山できました。どんな山も無事に下山できるように。ひとつひとつをクリアする過程を書いていきます。

膝蓋骨粉砕骨折の記録を始めます

9月上旬、膝蓋骨(膝のお皿)を骨折しました。

人生で初めての骨折です。

手術が必要な「粉砕骨折」で、その名の通りお皿はかなりバラバラになっていました。

「ここまできたら、もう骨折することもないかも」なんて甘いことを考えていた私。本当に人生何が起こるかわかりません。

 

大きな山になりそうなので、治療についてはもちろん、そのときどきで感じたこと、考えたことは基本的に別ブログ(→https://kossetsu.hatenadiary.com/)に書いていきます。

ただ、このブログにまとめていた妊娠出産に絡む話も出てきそうなので、そういった内容はこちらに書こうと思います。

 

ここからしばらくの山は「膝蓋骨骨折」。

下山までがんばります。


別ブログも、これまでと同様に、ほんの少しでもどなたかの参考になればと思います。私も先輩方のブログを参考にさせていただいたので、その感謝の意味も込めて。

完全ミルクに切り替えて

完全ミルク育児は、「離乳食のスタート」これをきっかけにして始めることにしました。

 

今思えば、もっと早く切り替えてもよかったと思います。ただ、ボロボロになったものの、なんとか根性で「やりきった」というスッキリ感は残ったので、結果オーライということにしています。

私がもともと体育会系の資質があるので余計そう感じるだけで、客観的に考えれば、もっと早く決断していれば、もっと明るい授乳生活があったと思います。不安定であったために周りにもたくさん迷惑をかけてしまったし…。

 

幸い、息子はミルクが大好きだったので、完全ミルクにすることに本人の抵抗感はなく、スムーズに移行しました。一気に全部飲み干したあと、しばらく空の哺乳瓶を吸っていたくらいです(笑)

 

母乳を吸わせる時間や回数を減らす代わりに、ミルクの量や回数を増やし、なるべくトラブルの起きないように気をつけました。断乳用のハーブティーも飲みました。私の体にも大きな問題なく移行できました。

 

ミルクにしてからは、毎日が信じられないくらい明るくなりました。それは、なぜもっと早く決められなかったんだろう、と思うくらいでした。

「ミルクは大変」と言われることのひとつに哺乳瓶の消毒や荷物の多さのことがありますが、それもなんのその。慣れてしまえば毎日のこと、荷物も子どもがいればもともと多くなるので、あまり気になりませんでした。

 

とにかく、毎日自分の胸をチェックしながら不安を感じる必要がなくなったこと、愛情に満ちた気持ちで授乳ができるようになったことがすべてでした。

 

そして、一歳で保育園に通うようになり、離乳食もよく食べてくれ、牛乳をコップで飲めるようになっていたので、ミルクも卒業することにしました。これまた親(主に私)が感傷に浸っているのにもおかまいなく、スムーズに哺乳瓶とバイバイしてくれました。

 

授乳については嵐のように過ぎ去った一年間でしたが、今となっては、これもまたこれからに繋がる出来事だった…のかも…と思います。

 

早く生まれてきた息子は、今や「大きいね」と言われるくらいすくすくと育ってくれ、大きな病気もなく毎日元気に遊び回っています。

 

もし、完全ミルクにしたいけどどうしよう…と毎日迷われている方がいらっしゃったら。

大丈夫ですよ、とお伝えできたらと思い、書いてみました。

目に留めていただけることを願って。

 

完全ミルクにしたいのに、母乳を諦められなかった。

結局、ずっと悶々とした暗い気持ちを抱えて過ごした混合授乳は、生後6ヶ月まで続きました。

 

涙が出るほど痛くて辛かったのに母乳をやめられなかったのは、完全に私の吹っ切れない気持ちからでした。

母乳をやめることによる胸のトラブルも気がかりだったし、頭ではそんなことないと思おうとしても母乳で育児できない私は母親として努力が足りないような悔しさがつきまといました。特に後者は、何度割りきろうと思っても気持ちが後戻りしてしまう、複雑な感情でした。

 

一方、母乳育児でないと愛情が不足する、とか、体が弱くなる(免疫が不足する)、という話もありますが、それはあまり気になりませんでした。

愛情に関しては、私の場合ミルクの方が自分に余裕ができて、息子の顔をゆっくり見ながら授乳ができました。授乳タイムの愛しい気持ちも、ミルクのときの方が大きかったと思います。

免疫力についても、私自身、まわりにも「いつも元気そうだよね」と言われる健康優良児でここまできましたが、赤ちゃんの頃は8割ミルクで育ててもらいました。兄弟も同様で、こちらは自分が証明している分、なんの心配もありませんでした。

どちらも、そんなことない。

 

そう、だから、私が吹っ切らなければいけなかったのは「母親としてもっと頑張れるのではないか、頑張らなければいけないのではないか」という、その思いだけ。何度も「これでいいのだ」と思ってみても、どうしても「達成する前に諦めたのだ」というネガティブな感情に支配されて踏み出せなかったのです。

 

夫は一生懸命理解しようと、堂々巡りの私の話を何度も聴いてくれました。そして、私の気持ちを尊重しつつも、さらりと「ミルクにしていいと思うよ」と言うのでした。今の私なら、同じことをあの頃の私に言うでしょう。そして、あの頃の私も、頭では「そうだよね」と分かっていました。

でも。

追いつかなかったのが気持ちの方で、どうしてもどうしても、やめようと思っても、あと一回試してみよう。と、暗い気持ちで息子を抱き上げていました。

 

今考えると自己満足の世界に取り込まれていたのかな。

でも、あの頃は他のことに不安がなかっただけに、それがすべてのような気がしていたのです。

授乳トラブル

一番近くで産後の私を見ていた母をはじめ、私の回りに「母乳でがんばりなさい!」と言う人は一人もいませんでした。そういう言葉で苦しい思いをした(している)方もいるはずなので、その点は本当に恵まれていたと思います。
それでも、私自身は、ずっと「このままでいいのだろうか」「いつか母乳育児に移行できるのではないか」「私の頑張りが足りないのでは」という悶々とした気持ちを抱えたまま、毎回の授乳時に、母乳→ミルクとするスタイルでの混合授乳を続けていました。
その気持ちが現れるように、頑張れそうと思ったときにはミルクの量を数日減らし、お腹をすかせているのではと不安になるとミルクの量を増やし、と全然安定しない授乳を続けていました。


実家から自宅に戻ると、思うように母乳が出ない上、外にもいけず、やや元気のない私に、夫がよくデザートを買ってきてくれるようになりました。それからは、それなりに食生活にも気を付けていましたが、励ましてくれる気持ちが嬉しくて、毎日少しずつ甘いものを食べていました。

このことが原因だったのかは定かではありませんが、自宅に戻ってしばらくすると、授乳時につーんとした痛みを感じるようになりました。
よくよく自分の胸を観察すると…白いポツンとしたものが。もしかして、これが「白斑(母乳が詰まったときにできる白い斑点)」というもの!?はじめの頃はすぐになくなったり現れたり、という感じでしたが、徐々に手強いものができるようになりました。
ひどいときは、気が遠くなるくらいの刺すような痛みを伴う時もあり、冷や汗をかきながらの授乳。しけれど、治すためには吸わせるしかない。そう思って、ただひたすら時が経つのを耐えて待つ、という日々が続きました。
授乳の時間が近づいてくるのがこわくて、息子に「痛いよー!」と泣いて訴えたりしたことも。
吸わせる姿勢を変えたり、搾乳器を試してみたり、自分でしこりをマッサージをしたり、ハーブティーを飲んだり…。自分でできることは片っ端から試しました。

そのうち、胸にしこりができるのがこわくて、常に自分の胸をチェックするようになりました。ずっと胸のことを考えていて、おかしくなりそうでした。
「母乳がよく出るなら、詰まってしまったりすることもあるかもしれないけれど、なんで思うように母乳が出ない上に詰まらなけらばいけないのか」そんなことを思ったりもしました。

本当に毎日がどんよりとして暗かった。

幸い、母や友人たちがちょこちょこ遊びに来てくれていたので、定期的に気分を晴らしてくれる機会があり、なんとか気持ちを保っていられたように思います。
授乳以外については、それほど辛いことはなかったし、息子が生まれてきてくれたことを感謝する毎日でした。

でも、当時の私には、この唯一の悩みが大きくて辛くて。徐々に「ミルクだけにしたい」と思うようになっていきました。

早産児の授乳の難しさと頻回授乳について

1年以上更新が滞ってしまいました。

あっという間にここまできて、息子ももうすぐ2歳になります。

1年以上前のことを思い出しながら書くので物足りないところもあるかもしれませんが…。すごく苦しく思っていたことなので、書き残しておこうと思います。

 

◆早産児の授乳の難しさ

息子は35週で生まれてきました。2300gと予想されていましたが、生まれてみれば約2700g!体重だけ聞くと、なんの問題もないように感じます。けれども、やはり身体能力は、あと1ヶ月長くお腹にいた子に比べると、難しいと感じるところはいくつかありました。

小児科の先生からは「小学生になる頃に追いつけばいいと思って焦らないでね」と話があり、『早産児のお父さんお母さんへ』というような冊子もいただきました。RSウイルスのための注射、シナジスの接種を無料で受けられたのも早産児で免疫力が弱いからでした。

その「難しいこと」の中のひとつが授乳でした。

まず乳首をうまく咥えることができない、吸う力が弱い、吸い続けられない(姿勢がうまく決まらない)、そのうち寝てしまう、というところが、その要因です。

退院前の授乳指導で、看護師さんたちが何人も入れ替わり立ち替わり、なんとか授乳をさせようと横抱き、フットボール抱き、縦抱き…と色々試してくれましたが、一人もうまくいかず。私もだんだん(精神的に)きつくなってきた頃、看護師さんの一人が「私もこんな仕事してるけど、自分の時は全然うまくいかなかったの」と励ましてくださって、思わず涙しました。

結局、退院の日までうまく授乳することができないまま、保護器を購入して自宅へ戻ったのでした。

その後も、いつか保護器がとれると信じて授乳を繰り返しましたが、状況はあまりよくならず。毎回ミルクを足すのが普通になっていきました。

 

◆頻回授乳って?

帰宅した翌日の夜だったか、胸がパンパンに腫れて真っ赤になった時がありました。今思えば、母乳はしっかり作られていたのかもしれません。でも、それに見合うくらい飲んでくれる子がいない→だんだんと作られなくなる、ということだったのかなと思います。

そもそも、うまく授乳できなかったことは置いておいても、「頻回授乳」というものが、どれくらいの頻繁さを指すのか理解していませんでした。「泣いたら授乳」と言いますが、本当にそうなのですね、きっと。私は息子もよく寝る子だったので、眠れなくて昼も夜もわからないというほどの状況にはなりませんでした。

母乳だけで育てる!少ししか飲めなくてもまたすぐにあげるから!というくらいの強い気持ちがないと軌道に乗らないものだったのかなぁ。

もしそうだとすると、私は、母も「母乳が出なくて」と話していたのを聞いていて、あまり自信が持てずにいました。とてもじゃないけれど、そんな強気にはなれない。息子がお腹をすかせていると思うと、ミルクでいいから満たされてほしい!と、ミルクを作っていました。

でも、今なら「もう少し自分の母乳に自信を持って信じてみてもよかったのかもしれない」「軌道に乗るまでの一時期のことと思ってがんばってみたらよかったのかも」「頻回授乳って、本当に頻回なんだ」と、色々と思うところはあります。

もしまた授乳する機会があるなら、そのときはチャレンジしてみたいと1年以上経った今なら思えます。今なら。

 

まさか出産後、こんなに授乳のことだけで悶々とした気持ちになるとは思ってもいなかったので、徐々に私の毎日は暗くなっていきました。それはまた次の回に。

授乳について =混合からミルクに切り替えました=

出産後、一番悩んだのは授乳についてでした。

そして、流産を経て、無事出産することができた今、ここに絶対に書きたいと思っていたのも授乳についてです。

 

悶々と悩んでいた時、流産の時同様、多くの方のブログに助けられました。

こんな例もあるのだと、同じような状況で悩んでいるどなたかが少しでも楽になってくだされば。ひとつの例として書き残しておきたいと思います。

 

私は混合からスタートして、白斑やしこりなどのトラブルが絶えずに、ちょうど6ヶ月から完全ミルクに切り替えました。

トラブルは本当に辛かったですが、こんな理由で母乳をやめてしまってよいのか随分と悩みました。

そんな私の記録です。

 

これから書こうと思っている内容は…

・早産による授乳の難しさ

・頻回授乳について

・痛みを伴うおっぱいトラブル

・混合の方法?ミルクの足し方

・混合からミルクへの切り替え

・完全母乳でないことへの気持ち

などです。

 

あくまでも、私の個人的な体験談として書こうと思っているので、医学的な正しさは含まれません。

ただ、私は辛いなと思っている最中、こんな人もいるんだと思うだけで楽になると感じたので、もしかしたら参考になるかもしれないということで、書き残しておきます。

 

興味のある方は、どうぞお付き合いください。

夜の安心はベビーモニターで

我が家は、1階にリビングが一室のみの戸建てです。

2階の寝室からは、よほど大きな声を出さない限り、声は聞こえません。

 

実家も戸建てですが、1階に和室もあったので、里帰り中私たち親子はそこで過ごしていて、隣のリビングにいても子どもが泣いたらすぐに分かる環境でした。

 

里帰りを終えて、困ったのが夜の寝かしつけ。

その頃は、大体2〜3時間おきに授乳をしていて、まだ寝る時間やリズムも定まっていなかったのでよかった(?)のですが、いずれはこのままというわけにもいかないなぁと。

 

1ヶ月半〜2ヶ月の頃は、子どもの寝起きに合わせながら、リビングでずっと一緒にいる生活だったので、物音を立てないように家事をしたり、食事をしたり、なるべく21時を過ぎたら部屋を薄暗くして過ごしていました。夫にも薄暗い中で夜ご飯をたべてもらったり。

そして、夫が帰ってくる0時近くの授乳のタイミングで子どもと私が一緒に2階に上がることにしていました。

ワンフロアや別室が1階にもあればなぁとか、夫の帰りがもう少し早ければなぁとか、考えても仕方のないことですが、なんとかならないものかと困っていました。

 

というのも、リビングにいる間は薄暗いだけなので、まったくの消灯というわけにもいかず、これは子どもにとって良くないのでは…?と、ずっと気になっていたのです。

 

そこで、色々と調べた結果、ベビーモニターを置くことにしました。

ちょうどお正月を過ぎた頃に3ヶ月になるので、そこからは昼夜のリズムをつけようと決めて。

カメラを2階の寝室に置いて、1階の画面で様子を見られるようになっていて、暗闇でも表情まできれいに見られます。

 

結果、想像以上にありがたい存在となりました!

寝かしつけが終わったら、モニターのスイッチを入れて1階へ。モニターを見ながら家事をしたり、ゆっくりしたり。音を立てることも気にしなくてよくなりました。

暗闇だからか、少し起きかけても、そのままそっとしておくと寝続けてくれることがほとんどだったのも助かった点。

なにより、声だけでなく、寝ている時の様子が見られるのも安心できてありがたいことでした。

 

はじめは買おうか迷ったりもしましたが、昼間はずっと一緒にいる分、夜は家事をしたり自分の時間を過ごさせてもらったり、毎日大活躍のモニターです。

文明の利器に、心から感謝!

おかげで、今のところ、息子は昼夜のリズムがしっかりついています。

 

もちろん一緒にいられることが一番良いのですが、お子さんの様子が見られない、声が聞こえない、という場合、モニターはおすすめです。