山が待っている。

「流産」という山から、わが子を腕に抱いて下山できました。どんな山も無事に下山できるように。ひとつひとつをクリアする過程を書いていきます。

里帰りのピンチ

出産後、1ヶ月半ほど実家に帰っていました。

 

友人から、一度は親と大げんかすると思うと聞いていましたが、そのようなこともなく、心穏やかに過ごせました。

もちろん、実家を出て数年別に暮らしているので、スタイルが違うところもありましたが、それは当然として、両親の暮らしには口を出さないようにしました。

そして何より、母が、適度に距離を置いてくれたこと、私を産んだ当時と今の子育ては違うと理解してくれていたことが大きかったと思います。

 

両親のヘルプは本当にありがたく、自宅に帰ってからは、母の家事をする姿を思い出しながら家事をしたり。

心の支えになり、里帰りできるありがたさを実感しました。

 

私の場合、里帰りのピンチは夫との間にありました。

一言で言うと「夫に疎外感を与えてしまった」ということです。

休みがあまり取れない時期だったので、実家には仕事帰りを中心にちょこちょこ顔を出してくれていたのですが、うちにいられたのは終電近い時間から遅くともお昼前くらいまで。なかなか起きている息子と一緒に過ごす時間がありませんでした。

さらに、私としては夫も疲れているだろうから、息子の世話は私がしたほうがよいと思っていて。「できることある?」と言われても「いいよいいよ。休んでて〜。」と返事していました。

息子の世話は実家の両親にお願いすることが多く、夫からするとこれが寂しかったそう。少しずつ、なんとなく、ぎくしゃくしていました。

 

今考えれば、夫の気持ちが当たり前のようによく分かるのですが、嬉しそうな両親の顔を見て、両親に頼るのが親孝行のような気持ちになっていたのかもしれません。

 

夫は夫で、まさか自分がこんな嫉妬するような気持ちになるとは思ってもいなくて、そんな自分を受け入れるのに時間がかかったとのこと。私の両親を責めたいわけではないので、それをうまく表現できるか心配だったのもあり、ぎくしゃくしている理由をゆっくり話し合うことができませんでした。

 

そして本当に里帰りももう少しでおしまい、という頃になって、初めて腹を割って話せたのでした。

 

夫には、そんなことを思わせてしまったことが申し訳なく、両親にそう思われるような立場に立たせてしまったことが悲しく、うまくバランスをとれなかった自分が不甲斐なく。

かなり落ち込みました…。

 

もっと頼っていいし、細かいことでも、もっとていねいに意思疎通をしなければいけないのだと学びました。

 

子どもの存在の大きさを感じる出来事でした。

 

出産から4ヶ月が経ちました

早いもので、息子は4ヶ月になりました。

もう5ヶ月も目の前。

今日も大きな声で元気に泣いています!

 

この4ヶ月の間に、いくつか悩んだことや気をつければよかった…と思ったことがあったので、それらを中心に、また少し書いていこうと思います。

流産から1年

ちょうど一年前のこと。

真っ暗な部屋でこの先どうなるんだろうと、夢のような現実のような、よくわからない気持ちで過ごしたことを思い出します。

流産という大きく悲しく辛い出来事は、あっという間に起こって、嵐のように過ぎ去っていきました。

 

そして、一年。

今、私の腕の中には、すくすくと健やかに成長している息子がいます。

不思議なもので、予定日は去年流産したその日でした。

早産になって1ヶ月早く外の世界に出てきた息子ですが、なんのその、がんばって大きくなってくれています。

 

1ヶ月検診は自由に予約を入れられたので、出産予定日、去年流産した日に決めました。

母子ともに順調とのことに、感謝です。

 

流産は決して前向きな出来事ではないし、経験しないに越したことはありません。

でも、あの経験は無駄ではなかったと思えます。

月並みな言葉ですが、早いお別れになったあの子は、生命の誕生が当たり前ではないこと、その尊さを教えてくれました。

この妊娠・出産を通して、何度流産の時のことを思い出したことか。あの経験があったから、「これくらいは大丈夫」とがんばれたこともあったし、「軽く見てはいけないな」と慎重になれたこともありました。

 

そして、いつか誰かが同じことで悲しみ悩んでいたら。何もできないかもしれないけれど、1年前の自分の気持ちを思い出すことはできるでしょう。

 

あの日のことを忘れずに、息子をしっかり愛していきたいと思います。

 

 

出産の記録3 出産のとき

痛みの谷間を狙って分娩台へ案内される。

手術室ってこんな感じかぁ(手術室は別にありました)と思いながら、言われるがままに分娩台へ。

いよいよだと気合が入る。

どういうタイミングでいきめば良いか、どういう時は力を抜くのか、夫はどういう風に介助すればよいのか、一通りの説明を受ける。

安静中のベッドの上で何度もテキストを見返しながら、呼吸法などをイメトレしたつもりだったけれど、私の場合は初産ということもあってか、実践するまでは結局よくイメージできていなかったなと感じました。

 

説明の間も痛みの波はやってくる。身体を斜めによじっていると楽な気がして、そんな体勢をとっていたら、助産師さんから「赤ちゃんが出てきやすいように体はまっすぐにしてね。早く生まれてくる子だから、なるべくいきむ回数も少なく、負担がかからないように出してあげましょう!」と声をかけられる。

この言葉に強く励まされた。

辛いと思ったら赤ちゃんが一番大変なんだと考えようと準備していたのが、より強い気持ちとして固まった。

赤ちゃんをなるべく苦しませないように産む!

その気持ちで臨むと決心。

 

いよいよ、いきんでオーケーの合図が出る。

 

一回目。

あんなにいきみたい!と思っていたのに、いまいち力の入れ方がわからない。

そこで、助産師さんからのアドバイスは「ひどい便秘の時に力むイメージで!」。

なるほど!それなら分かる!

 

二回目。

便秘の時のイメージ。「そうそう!上手上手!」と褒めてもらって、分かった!と思うも、目をつぶっていたので、目を開けていきむようにアドバイスを受ける。

夫が、私がいきむタイミングで肩を持ち上げてくれる。へその辺りを見て力入れるので、とってもありがたかった。

「この辺りを見て!」とへその上のあたりに拳を見せてくれる看護師さんの助けも。

 

三回目以降は、「(痛みが)きた!いきます!」などと言いながら、何回かいきんだ。

 

痛みの合間には夫からストローで水をもらいつつ、「飲みすぎて一緒にしちゃったらやだな。飲みすぎないようにしよう…」などと考える余裕もあった。

実際は導尿してもらっていたので、心配いらなかったけれど。

 

外子宮口は開くのが早かったものの、内子宮口はもう一歩ということで、先生に会陰切開をしてもらうことに。麻酔もしてもらったし、特に痛みは感じませんでした。

 

そして何度かいきむと、「次で頭出るよ!ちょっと長めにいきんでね!」との声かけが。

渾身の力を込めて長くいきめるかぎりいきむと、「頭でたよー!」。

その時の助産師さんの言葉。「ん!?なんか大きい!大きいよ!2300gじゃないかも!」

でも、頭が出た時にはあまり感覚がなく、そのあとの身体が出る時は、デコボコしたものが出ていく感覚があった。そっちは忘れられない感覚。

最後の数回は、いきみすぎて痔になるんじゃないかと思って「お尻が痛いです!」って叫びました(笑)

助産師さんには「やめちゃだめ!最後だからそのままいきんで!!」と言われ、結局いきみきったけれど。

 

夢か現実か、よくわからない感覚のまま、息子を看護師さんが顔のところへ連れてきてくれました。

胎脂がたくさんついた生まれたての赤ちゃん。

「がんばったねぇ」と声をかけたのを覚えています。

しっかり泣き声も聞かせてくれて、元気に出てきてくれました。

 

結局2720gまで大きくなっていた息子に、助産師さんたちと「大きいしあっという間すぎて、エイプリルフールのようだね(笑)」と笑いあいました。

 

結局、陣痛室に入ってからは1時間少しで出産したと思います。

夫が来てからは30分ほど。間に合ってよかった。

 

その後、お互いの両親に連絡をして、2時間、夫と分娩室で3人で過ごしました。

たわいもない話をしながら。

 幸せな時間でした。

出産の記録2 陣痛室にて

陣痛室に着くと、まずモニターをつけてもらい、お腹の張りの間隔を確認。

痛みがやってくるのと同時にお腹が張り、さらに赤ちゃんの動きも見られる。

「張りと赤ちゃんの動きが連動してるでしょ?頭が下がってきてるよー。これはもう陣痛だわ!点滴をどうするか先生に判断してもらおう!」…と言われるが早いか、生暖かい液体が流れ出るのが分かり、「多分…破水しました」と報告しました。

試験紙ですぐに調べてくれている様子。

「破水だ。点滴を切り替えよう」と、リトドリンとはここで突然のお別れ。

今までありがとう!

先生からも点滴中でも破水の可能性があると説明を受けていたから驚きはしなかったけれど、張り止めの薬を点滴していても、来る時は来るんだなと思いました。

点滴を抜いたあとの張り返しを恐れたり、そのまま陣痛になってしまったらと心配していた気持ちはどこへやら、その時が来てしまえば覚悟は決まるものでした。

 

当直の先生が到着。何回か診てもらったクールな先生。

「子宮口6センチ開いてるね。このまま出産になりますよ!」

6センチ!それって結構進んでる状態では…⁈

あそこでナースコールしておいてよかった…!

「旦那さんには立ち会ってもらいますか?両親学級に参加して申し込んだ?」

「はい」

「じゃあ、こちらから電話するね」

「お願いします」

とやりとりするも、まだ明け方。夫は電話に出ず、私がかけ直すことに。しっかり電話番号を押したのに、出たのは女の人で「???」という反応。

間違えた!

「こんな時間にすみません…」などとやりとりしているところで、夫が病院にかけ直してくれた様子。すぐに向かってくれるとのことでした。

 

夫が来るまでの間、張り止めから抗生物質?へ点滴を交換してもらう。

助産師さんにナプキンを替えてもらったりしていると、「先生6センチって言ってたけど、これは8センチだわ!進みが早いね。超安産よ!」と励ましの言葉が。

どこかで「切迫早産に耐えた妊婦さんには、出産が早いというご褒美がある」というのを見たことがあるけど、これのこと?と思いながら、痛みの波に耐える。

ベッドの柵がちょうど良い位置にあって、それをググーッと掴んで、脚をゆらゆらさせると、いくらか楽になるような感じ。

 

そうこうしているうちに15分ほどで夫が到着。

顔を見てほっとする。

奇跡的に、タクシーが1台つかまったとのこと。

間に合ってよかった。

何回かの痛みを夫とやり過ごす。腰のあたりを押してもらうと、たしかに楽なような気がした。

 

「ううう…なんだかトイレに行きたい。出産の時に一緒に出ちゃいそうな気がする…」と、夫と話していると、助産師さんに「まだトイレに行きたいような感覚はないよね?」と声をかけられる。

グッドタイミングです!と思いながら、「いや!今行きたいです!」と返事。

 

これを合図に、分娩台へ上がることになりました。

 

出産の記録1 病室から陣痛室へ

結局、夜になっても便秘はほとんど解消されず、腹痛も収まらないまま。

原因不明&いつまで続くか分からない痛みっていうのもいやだなぁと思いながら、痛みと格闘していました。

私の感覚では、間断なく痛みが続いているかんじでしたが、今思うとこれが前駆陣痛だったのかも…?

 

痛むお腹を抱えつつ、夜中の3時頃トイレに行くと、ピンク色のおりものが。

これまでにも何回か血の混じったおりものはありましたが、なんとなく「おしるしだ」という気がしました。

でも、おしるしの後すぐにお産につながるわけでもないらしいので、そのままベッドへ戻り、再び痛みと格闘。

 

4時近くになってくると、なんとなく痛みに間隔が出てきている気がして、陣痛アプリを起動。試しに間隔を計ってみることに。

暗い部屋でも問題なく記録することができて、重宝しました。明るいところであれば、時計とメモでもできたような気もしなくはないですが、やはり画面を押すだけというのは助かりました!

 

記録を見ると、3〜6分の間隔で、1分程の痛みが続いていました。

6分の時は、このまま痛みがなくなればいいなと思いながら、ウトウトしていました。

陣痛だとしたら、生まれてしまう。まだ早いよー!と。

 

30分ほど様子を見て、やはり痛みが治まらないのでナースコールをすることに。

「朝まで様子見てみます」と言ったしなぁなどと、今思えば余計な心配をしていました。

 

看護師さんと助産師さんが2人来てくださって、おしるしのこと、痛みの間隔のことを伝えると「陣痛室に行こうか」ということに。

「もし陣痛室に行って、痛みが治まればまた戻って来ればいいから」と、促されるままに車椅子で陣痛室へ向かいました。

 

ちなみに、張り止めのリトドリンの点滴は、もちろん一緒に連れて行きました。

 

35w3d 出産しました!

突然のことで、私自身も驚く暇もなく、あれよあれよと言う間に出産となりました。

助産師さん曰く「かなりの安産」!

私自身も冷静にその時を迎えることができました。

案ずるより産むが易し、を体感。

 

赤ちゃんはエコーでは2300gとの予想でしたが、出てきてみると2720gありました。

別の病院へ行くことはなく、泣き声もしっかり聞かせてくれて、一安心。

 

予定日より1カ月早いだけあって、保育器を出たり入ったりしていますが、母子ともに元気でいられることに感謝です。

 

取り急ぎ、ご報告まで。

またゆっくり、当日のことは記録したいと思います。