山が待っている。

「流産」という山から、わが子を腕に抱いて下山できました。どんな山も無事に下山できるように。ひとつひとつをクリアする過程を書いていきます。

流産後1週間の体調と薬の影響

会社は4・5日休ませてもらうことにした。

ちょうど月曜日から、調子が良ければ4日休ませてもらって金曜日にリハビリ的に出勤できればと思っていた。

処方された薬は2種類で、子宮収縮止血剤の「メテルギン」と、抗生物質の「セフゾン」。いずれも食後に1錠ずつ、5日分受け取った。

処置のあった日曜日から早速飲むようにということと、生理痛のような腹痛があるかもしれないけれど、それは子宮が元に戻る過程で必要なことなので心配しないようにという説明があった。

 

流産後2日目までは、少し腹痛はあったものの、それほど気にならなかった。ただ、生理2日目のような出血が一日中あり、昼間も夜用のナプキンをつけていた。時折、血の塊も出てきた。なんとなく、まだ気持ちが出血を受け入れられない状態のように思えた。おかげでトイレに行くたび忘れずに、出血の状態を詳しくチェックするようになっていた。

 

流産後3日目・4日目は激しい腹痛があった。

 

3日目は18:30~21:30くらいの3時間が激痛だった。生理痛以上の痛みで、横になっていても痛い。16:00頃から徐々に痛くなり、ピークが3時間続く、というかんじだった。呼吸をなるべく深くして、何回かトイレに行った。心なしか、大きめの血の塊や出血量が多くなっているようなかんじで、トイレに行くと少しの間痛みが軽くなるような気がした。「子宮の収縮ってこんなに痛いものなの!?」と思いながら、なんとか耐えた。でも、夜のメテルギンはこわくて飲めなかった。

 

4日目は15:30~19:30くらいがピーク。あまりにも痛くて、テレビをつけて気を紛らわせようとしたけれど、全く耳に入ってこない。いろいろな姿勢を試すけれどダメ。3日目よりも明らかにきつい。この日は、「なんでお腹に赤ちゃんがいないのに、こんなにつらい思いしなくちゃいけないの!」と一人で半べそをかいた。痛みに弱いほうではないはずなんだけど。間断なく続く痛みに、「子宮がおかしいのでは・・・」と不安になり、スマホで「流産後 腹痛」「メテルギン 激痛」などと、冷や汗をかきながら調べた。

それでもあまりにも痛くて耐えきれず、病院に電話した。休診日だったけれど助産師さんが出てくれて、腹痛のことを伝える。が、「できれば処方された薬は指示通りに飲んでほしい」「鎮痛剤は診察を受けて病院で処方されたものを飲んでほしい」という返事。ひとまず翌日に診察するということになり、電話を切る。激痛はおさまらない。おそるべし、メテルギン。人によっては1回2錠ということもあるらしいと、検索しまくっている間に知った。結局、あまりの痛みに家にあった最後のバファリンを飲んで19:30頃に少し痛みが落ち着く。

なんとかこの隙に、鎮痛剤を買わなければと思い、普段なら歩いて5分の距離にある薬局へ向かう。汗をかきながらゆっくりゆっくり、倍以上の時間をかけて歩いていく。閉店間際の調剤薬局で、「妊娠はしていませんか?」と聞かれながらロキソニンSを購入。ほっとして、のろのろと家に帰る。この間も、腹痛がないわけではなく、我慢できる程度の痛みは続いていた。

結局この日は夜寝るまで痛みが続き、これ以上の痛みに耐えられる自信はなかったので夜のメテルギンは飲まず、翌日の朝も飲まなかった。(つまり、助産師さんの指示は2つとも無視したことになる。)

 

流産後5日目に急きょ診察。本来は、2週間後と言われていたけれど、あまりの痛みに体が心配になって診てもらうことにした。

エコーでは「まだ内容物が残ってはいるが、異常はない」との判断。「翌週末にまだ内容物が残っているようであれば、再度手術をする」という説明を受けた。手術は嫌だな。

メテルギンとあわせて抗生剤も飲んでいなかったけれど、先生の様子から抗生剤は飲んでおいたほうがよかったみたい。メテルギンも「それほど辛いなら無理して飲まなくてもよい」と言われ、「鎮痛剤?一緒に飲んでいいですよ」とさらりと言われた。市販のものでもよいとのこと。この2日間の辛さはなんだったんだ・・・。でも、ネットでは鎮痛剤を飲むことで子宮収縮剤の効果が弱まるという説明を受けた人の話も見たから、それを信じることにしよう。

先生の様子は、流産なんてなかったかのような対応だった。一言も触れない。診察の最後は元気な笑顔で少し違和感があった。

あと6錠残ったメテルギンをどうしようか迷っていたら、夫が「中に残っているものをがんばって出してしまおう。それで次(の病院)に行こう!」とはっきり言ってくれた。これまで、「あまりに辛いなら飲まなくてもいいんじゃない?」と言っていた夫の言葉なだけに、気持ちが固まった。体を元に戻すために全部飲むことにしよう。ただし、我慢できないくらい痛くなったら鎮痛剤はOK。

 

結局、流産後5・6日目も強めの腹痛はあったけれど、鎮痛剤を飲むほどではなく、なんとかしのぐことができた。

気持ちを固めてからは、出血があることもふっきれた。そうしたら、いくつか大きめの塊が出てきた。塊が出るたびに、子宮のあたりをなでながら「いいぞいいぞ。がんばって全部出そうね。」と褒めてみた。

 

流産後7日目になると、夜も夜用ナプキンでなくて大丈夫になった。腹痛もほとんどなく、この日の朝に遅ればせながら薬を飲み切る。ちょっと達成感を感じて、最後の1錠は写真に撮った。

メテルギンは赤い小さな粒。裏面には赤いはっきりした字で「妊婦・妊娠の可能性のある方は服用禁止」と書かれている。にっくきメテルギン。もう飲みたくない。

 

流産後8日目。翌日から出勤の予定だったので、外出してリハビリ。腹痛はなく、生理4日目の出血くらい。もうほとんど塊は出てこなくなった。

 

結局、仕事は月曜日から金曜日まで休ませてもらった。メテルギンによる激痛は、きっと会社であっても床に寝転んでしまうくらいだったから、激痛初日のうちに金曜日も出勤できそうもない旨を伝えていた。結果的に、1週間の休みは私にとってちょうどよかったと思う。