山が待っている。

「流産」という山から、わが子を腕に抱いて下山できました。どんな山も無事に下山できるように。ひとつひとつをクリアする過程を書いていきます。

流産後1週間の気持ち

―傷だらけの人たちのいるこの家は妙に静かで空気がきれいだった。悲しみに集中していて、他の雑念は入ってこられないのだろう。(『サウスポイント』P135)―

 

深い喪失感や悲しみを味わったとき、ふとしたときに読みたくなる本がある。

よしもとばななの『サウスポイント』。

20代の頃、長く付き合っていた恋人と別れて毎日泣いて過ごしていた私に、母親がそのとき読んでいた本を「本でも読んだら?」と渡してくれた。おそらく、そのときの喪失感とぴったり合って、私の心にいくつもの表現が染み込んでいった。

 

冒頭の文章は、まさに流産直後の私たちの家だった。そろそろと動く私たち以外は何も動くものはなくて、本や新聞ですら開かれずに、薄暗い部屋でただ悲しみに集中していた。

自分たちの現状を言葉にできると、少しどういう状況なのかを感じることができる。

そうしないと、自分がどういう精神状態なのか、正直よくわからなかった。

 

よく、流産後は妊婦さんや赤ちゃんを見て辛くなると聞く。私もそうなるのかと、外に出るのがこわかった。そんな中、激しい腹痛もあって外に出ざるを得なくて、当然そういった人たちを目にする機会も何回もあった。でも、私はあまりそういう気持ちにはならなかった。

もちろん、何回かそういう気持ちになりそうになることはあった。でも、なんとなく、そういう人たちを自分と比べて、私自身が無理に自分を苦しませようとしているような気がした。だから、「この人も今は幸せそうに笑っているけれど、これまでにどういう苦労をしてきたのかは私にはわからない」と、そういうようなことを考えて、悲しもうとしている自分の気持ちを抑えることができた。

あとは、自然と妊婦さんや赤ちゃんを視界に入れないようにしていたのかもしれない。

 

私の場合、号泣していたのははじめの2日くらい。あとは、何かをきっかけに(赤ちゃん関係や妊娠関係でないことが多かった)自然と涙が流れてくる感じだった。

夜眠れなかったのは3日くらい。もともと寝つきがよいのもあってか、それ以降はいつもどおり眠れる日がほとんどだった。

 

とにかく私は自分の悲しみや苦しみと向き合って1週間を過ごした。

そして、この1週間は好きなだけネットで「流産」について検索してもよいことにしていた。

普段あまりスマホも使わないのだけれど、この時はたくさんの人の体験を知りたかったし、そもそも自分の体で何が起こっていたのかを知りたかった。(言葉の説明はあるけれども、流産という現象について、本にはあまり詳しく載っていないことがわかった。)

その中で、当たり前だけれど私くらいの経験をしている人はたくさんいて、その悲しみと向き合って乗り越えようとしている人がいることを、ご本人たちの言葉を通じて強く感じた。

なかなか人に話すことでもないだけに、いろいろな人の体験を知れる今の時代に感謝したいと思った。

それだけ、たくさんの人のブログや体験記は私の気持ちを楽にしてくれた。

 

とはいえ、流産後の私は、ほとんど空っぽな状態で過ごしていたと思う。何も考えず、ただ一日を過ごしている感じだった。ふだんは読書が好きなのに、一日中家にいても本を読む気にもならなかった。もちろんテレビなんてつける気にもならないし、つけても山の風景を楽しむ番組ばかり。ただ、ぼーっと眺めてきれいだなと思っていればよいものを見るのが精いっぱいだった。

 

それでも、だいぶ早めにこんな心境になる日が私にも来た。

 

―「一年もたつと、悲しみのネタもつきてきて、だんだん幸彦のことを忘れつつある、実は。」

・・・

「ずっとショックで生理も止まっていたけど、先月から始まった。なんで時間がたつのよ! なんで大丈夫になっちゃったの! と自分の体を責めたよ。」

・・・

「・・・それにこう見えても十キロくらい体重は減ったんだ。食べられなくなってしまって。でもさ、先月から食べられるようになってきたの。前ほどではないけれど。どんどん勝手に時間が過ぎて、勝手に私は回復しているんだね。」(『サウスポイント』P214,215)―

 

「幸彦」という恋人を亡くした「マリコ」の台詞。

まさに、私もこんな心境だった。流産の日のことや生まれるはずだった赤ちゃんのことを忘れるということではないけれど、だんだんと身体が回復して、精神的にも前に進むことを考え始める自分が悲しかった。それを引き留めようとする自分もいた。

 

それでも、1週間後には仕事に復帰して、その前日にはリハビリと称して映画(エベレスト3D)も観に行った。映画は単純に景色がきれいでおもしろかったし、久しぶりに夫と外出するのは楽しかった。

 

時間が流れるということはこういうことなのだ、と思う。

どこかに十分味わえなかった悲しみはないかと探す自分がいる。

 

と、すっかり悲しみを抜け出したように書いているけれど、まだ人に会うエネルギーはないし、年末のいくつかの忘年会は断ろうかと考えている。

泣くことはないけれど、「ひどく疲れた」と思うことはたびたびある。

 

確実に回復に向かう体と、まだ回復途中の気持ちと。この2つがしっかりかみ合った時が、次のステップへ進む時なのかな。