山が待っている。

「流産」という山から、わが子を腕に抱いて下山できました。どんな山も無事に下山できるように。ひとつひとつをクリアする過程を書いていきます。

つらい日、ふたたび

2016年が明けて早々、大泣きをした。

仕事が始まって2日目、なんだかやたらと疲れていて、しかもその疲れは仕事の疲れではないような気がしていた。

なんだか、すべてが嫌になっちゃうような。

ぐったりして、何もしたくない。

やたらとため息をつきたくなる。

そんなかんじ。

 

思い当たる理由はひとつしかない。

お正月、夫の実家に帰省したこと。

親戚が集まった新年会の人数は、大人15人、子ども10人!

わいわいと楽しい時間だったし、子どもたちとも大いに遊んだ。

決して無理して笑っていたわけではない。

それなのに。

妊婦さんが気になる。

子どもの世話をしているママたちの姿が気になる。

この中で子どものいない女性は私だけだ、なんて自分をいじめるようなことを考えなくてもいいのに、考えたくなるあまのじゃくな気持ち。

そんなざわざわした気持ちを整理できないまま帰宅して、仕事が始まったのでした。

 

知らない間に小さな引っかかりが少しずつ積み重なっていたのかな。

「仕方のないこと」と受け入れていたはずなのに、つらいものはつらいんだ。

しかも、悲しみという単純な感情でない分、持て余してしまうのがまた苦しい。

あの夜はなんて言って泣いたんだっけな。

 

久しぶりに翌朝目が腫れるくらい泣いて、数日静かに過ごして、数年ぶりのメンバーでの飲み会を断ったら、だいぶ回復した。

 

子どもを持つタイミングすら、なかなか踏ん切りがつかなかったくせに不思議なものです。

いけるかな?と思って、少し経つと引き戻される。

「流産」という山を乗り越えるのは、そう簡単なことではないようです。