山が待っている。

「流産」という山から、わが子を腕に抱いて下山できました。どんな山も無事に下山できるように。ひとつひとつをクリアする過程を書いていきます。

産後2カ月半の友人と会って

昨年秋に出産した友人に会いに行った。

ちょうど私が流産する少し前に出産した友人。顔を見るまではお祝いを選びながら少し悶々としたり、笑顔で赤ちゃんに会えるか、産後の生活について穏やかに話を聞けるか不安だった。

年明けからだいぶもやもやとしていて、意味もなく「流産」などとスマホで検索したり、自分にはもう子供ができないんじゃないか、というような根拠のない不安感で疲れていた。子どものいる人の話を聞くのがなんとなくいやだったりもして。

だから、いくら仲の良い友人だとしても、心からお祝いできないのではないか、という不安が大きかった。

何も考えなくていいように、向かう電車の中ではずっと本を読んでいた。

 

でも、駅で赤ちゃんを抱っこした彼女の顔を見た瞬間、すぐに杞憂だったなと気づく。

久しぶりに会えたことがうれしくて、やっぱり小さな赤ちゃんはかわいくて、満たされた気持ちになる自分にほっとした。

 

お昼から夕方までいろいろな話をして、出産して分かったことや生活リズムの話を聞いて、私は職場での出来事や趣味の話をした。

何度も赤ちゃんの名前を呼んで、顔をのぞいてしまう。時折笑ってくれるとうれしくて、とってもかわいい。

そしてなんと、今まで(流産とは関係なくこわいので)赤ちゃんを抱っこしたことなんてなかったのに、初めて抱っこさせてもらってしまった!私の腕の中ででもにこっとしてくれる赤ちゃんの顔に、涙が出そうになるくらいの幸せを感じた。その涙は「私も流産していなかったら、もうすぐこういう日が来たのに」とか、そういうことを思う涙ではなくて、ぐわーっと満ち足りた気持ちがこみ上げてくるような感じ。

 

友人には流産の話を聞いてもらった。

実は彼女もちょうど1年前の同時期に流産をしている。今になって、少しはあの頃の彼女の気持ちが分かるように思う。逆に、あの頃、彼女を傷つけるような言葉を私は言っていなかっただろうか。流産後は、そんなことを考えた日もあった。

友人は涙を目にいっぱい溜めながら聞いてくれた。そして「きっと大丈夫だよ」と言ってくれた。「私も今こうしているんだし」と。

すごく勇気が湧いてくるようだった。彼女がどういう経過をたどってきたかは知っていたのに、やっぱり直接聞けるのは違うのかな。

 

満ち足りた何とも言えない時間を過ごした帰り道、ふと思った。

「私、きっと大丈夫だ。」

そうしたら、心が軽くなった気がして、前向きに行動していこうと思えた。

 

もしかしたら、これからも落ち込む日があるのかもしれないけれど、これまでの気持ちに一区切りついた。

 

前向きに。

私は私のペースでこの山に登ろう!

そろそろ休憩はおしまいにしよう。