選択肢を多く持っていられる人でありたい
パラリンピックの閉会式を観ていたときのこと。
東京への引き継ぎのパフォーマンスで感激して涙が溢れました。
生まれつき与えられたり、病の後遺症であったり、突然の事故であったり。その理由は様々ですが、障がいと共に生きることになった彼らの素晴らしいパフォーマンスを観ながらふと思ったのです。
「彼らは、これから生まれてくる子どもかもしれないし、家族かもしれない、そして、私かもしれないのだ」って。
その時に、こんなにかっこいい選択肢があるのだということを伝えられる親でありたいし、選べる私自身でいたいと思いました。
もちろん、私たちに「かっこいい」と思わせてくれる彼らが乗り越えてきたものは、計り知れないものなのだと思います。それは、私の想像なんかをはるかに超えるような。
それでも、知らないより知っていた方が良いし、何かの時に思い出せるようでありたい。
オリンピックもパラリンピックも、競技、セレモニーともに、素晴らしい毎日でした。
リオで、日本のパラリンピックはまず一歩踏み出したなというかんじがします。(私のように、今までで一番競技を観たという人が多いでしょうから。)
次は東京!
とてもとても純粋に、楽しみにしています。