山が待っている。

「流産」という山から、わが子を腕に抱いて下山できました。どんな山も無事に下山できるように。ひとつひとつをクリアする過程を書いていきます。

早産児の授乳の難しさと頻回授乳について

1年以上更新が滞ってしまいました。

あっという間にここまできて、息子ももうすぐ2歳になります。

1年以上前のことを思い出しながら書くので物足りないところもあるかもしれませんが…。すごく苦しく思っていたことなので、書き残しておこうと思います。

 

◆早産児の授乳の難しさ

息子は35週で生まれてきました。2300gと予想されていましたが、生まれてみれば約2700g!体重だけ聞くと、なんの問題もないように感じます。けれども、やはり身体能力は、あと1ヶ月長くお腹にいた子に比べると、難しいと感じるところはいくつかありました。

小児科の先生からは「小学生になる頃に追いつけばいいと思って焦らないでね」と話があり、『早産児のお父さんお母さんへ』というような冊子もいただきました。RSウイルスのための注射、シナジスの接種を無料で受けられたのも早産児で免疫力が弱いからでした。

その「難しいこと」の中のひとつが授乳でした。

まず乳首をうまく咥えることができない、吸う力が弱い、吸い続けられない(姿勢がうまく決まらない)、そのうち寝てしまう、というところが、その要因です。

退院前の授乳指導で、看護師さんたちが何人も入れ替わり立ち替わり、なんとか授乳をさせようと横抱き、フットボール抱き、縦抱き…と色々試してくれましたが、一人もうまくいかず。私もだんだん(精神的に)きつくなってきた頃、看護師さんの一人が「私もこんな仕事してるけど、自分の時は全然うまくいかなかったの」と励ましてくださって、思わず涙しました。

結局、退院の日までうまく授乳することができないまま、保護器を購入して自宅へ戻ったのでした。

その後も、いつか保護器がとれると信じて授乳を繰り返しましたが、状況はあまりよくならず。毎回ミルクを足すのが普通になっていきました。

 

◆頻回授乳って?

帰宅した翌日の夜だったか、胸がパンパンに腫れて真っ赤になった時がありました。今思えば、母乳はしっかり作られていたのかもしれません。でも、それに見合うくらい飲んでくれる子がいない→だんだんと作られなくなる、ということだったのかなと思います。

そもそも、うまく授乳できなかったことは置いておいても、「頻回授乳」というものが、どれくらいの頻繁さを指すのか理解していませんでした。「泣いたら授乳」と言いますが、本当にそうなのですね、きっと。私は息子もよく寝る子だったので、眠れなくて昼も夜もわからないというほどの状況にはなりませんでした。

母乳だけで育てる!少ししか飲めなくてもまたすぐにあげるから!というくらいの強い気持ちがないと軌道に乗らないものだったのかなぁ。

もしそうだとすると、私は、母も「母乳が出なくて」と話していたのを聞いていて、あまり自信が持てずにいました。とてもじゃないけれど、そんな強気にはなれない。息子がお腹をすかせていると思うと、ミルクでいいから満たされてほしい!と、ミルクを作っていました。

でも、今なら「もう少し自分の母乳に自信を持って信じてみてもよかったのかもしれない」「軌道に乗るまでの一時期のことと思ってがんばってみたらよかったのかも」「頻回授乳って、本当に頻回なんだ」と、色々と思うところはあります。

もしまた授乳する機会があるなら、そのときはチャレンジしてみたいと1年以上経った今なら思えます。今なら。

 

まさか出産後、こんなに授乳のことだけで悶々とした気持ちになるとは思ってもいなかったので、徐々に私の毎日は暗くなっていきました。それはまた次の回に。