山が待っている。

「流産」という山から、わが子を腕に抱いて下山できました。どんな山も無事に下山できるように。ひとつひとつをクリアする過程を書いていきます。

33w5d&33w6d 切迫早産入院5日目&6日目

◆33w5d 入院5日目  夫の初面会

夜中にも泣いて寝た。

だからか、朝は少しすっきりしていて、朝食は美味しく食べられた。

久しぶりの晴れというのもあるかもしれない。部屋の掃除をしてくれたり、モニターをつけてくれたりしながら、皆さんの話題は天気のこと。部屋に陽が差し込むと、やっぱりうれしいもんね。

今日の午前中のモニターは、1回もお腹が張らなかった。午後のモニターは山が5つできたけど、どれも赤ちゃんが動くのに合わせて引っ張られている感じ。張るっていうのとはまた少し違うような。

 昨日は診察があったりして、だいぶ気持ちも揺さぶられていたのかもしれない。

 

夜、夫が面会に来てくれた。

到着する数時間前からそわそわ。わくわく。

どんなことを話そうかとか、泣いてしまわないだろうかとか、色々なことを考えながら、待っていた。

幸い、4人部屋ではあるものの、使っているのは私だけなので、面会終了時間までたっぷり4時間近くいてくれた。

部屋に入ってきた彼の第一声は、「いいね〜!楽しそう!!」(笑)

彼は大学入学直後に、3ヶ月大部屋で入院していたことがあって、その話からしたら、今の私の生活は夢のような感じだった。

事務的な書類を書き揃えたり、仕事の話を聞いたり、入院生活の話をしたり、子どもの名前を考えたり。

話すことはいくらでもある感じがした。

たった4日会っていないだけで、しかもつい先日も夫だけ実家に帰ったから同じような状況はあったのに。全然違うのが不思議だ。

夫も、一人暮らしのようなものなのに、私がいなくなってから野菜を食べる量が減り、意外と細々した家事をしなくてはいけないことを感じていると言う。そんな大層な家事をやっていたわけでもないけれど、そう思ってもらえる暮らしができていたのだと、うれしくなった。

帰り際は少し涙が出た。

でも、夫はまた明日、仕事前に来てくれるとのこと。「泣くと明日来にくいでしょ」と。

ちょうど届きたての、赤ちゃんの肌着を持ってきて励ましてくれた夫。

明日は笑顔で見送れるように、がんばろう。

 

 ちょっと興奮しすぎたのか、夜はお腹がよく張った。

 

 

◆33w6d 入院6日目  「差額ベッド代」とは?

 ふと、差額ベッド代なるものが何なのかを調べてみた。

今の部屋に移る際、「差額ベッド代」がかかるという説明書をもらい、申請書を提出。

当然のように提出したけれど、払いたくない場合は申請を拒否することもできるみたい。

差額ベッド代の発生は、患者の希望が前提となる。差額ベッド代が必要な部屋は個室だけでなく、4人部屋まで適用され、広さや設備でいくつか条件がある。差額ベッド代がかかる部屋しか空いていなくて、拒否した場合に入院できない、なんてこともあるらしい。

この「差額ベッド代」は、すべて自己負担になるため、長期の入院となると金額が大きく膨れ上がる可能性は十分にあるようだ。

たしかに、前の部屋にもう20日くらいいるって話している方がいた。「ここに20日はきついかも…」と思っていたけれど、差額ベッド代が関係しているのかもしれないな。

私は10日くらいだから、と思って判断したけれど、どうなるか分からない。どうなるだろう。

今回の私のケースだと、払うと払わないのでは環境が全然違うし、かなり快適になったから良しとしようかな。せめて環境が気持ちよくないと前向きに考えられなくなりそうだし。

ただ、今後のためにも「差額ベッド代」について知ることができて良かった。

つくづく医療関係については知らないことばかりだなぁと思う。健康にここまで来られた証拠でもあるけれど。

 

今朝のモニターは助産師さんだった。

その時に「明日で34週です」という話をしたら、「あら!じゃあ、もうすぐだね」とのお返事。

そうなんだな。もっと長く入院している人にとっては、今くらいの時期が待ちかねている時なんだ。

36週までが目安かと聞いたところ、

・薬を徐々に弱めて、内服に変えられるか

・子宮頸管の長さ

・赤ちゃんの大きさ

がポイントになるとのこと。これらが順調なら、もっと前の退院もありえるらしい。

いつの間にか、36週までは退院できないような心構えになっているけれど、どうなるかな。

 

そしてもう1つ、ナイスな情報を入手。

点滴の針の交換について聞いてみたら、

「基本的には入院して1週間、そのタイミングで少しの間点滴を外してシャワーを浴びられますよ。診察もその日ね。基本的にはね。」

最後の念押しが気になるけれど…。

明後日がその日だ!髪が洗える!!

楽しみにがんばろう。

 

点滴の針を刺しているところが、かなり痛くなってきた。夕方は氷枕で冷やしてなんとか凌いだけれど、結局寝る前に湿布をもらった。

だいぶ楽になった。

髪を洗えるのもうれしいけれど、点滴の針を動かしてもらえるのもうれしいな。

 

「お腹の張り」を知る

切迫早産の診断を受けて入院生活がスタートして、数日が経ちました。

夫には「またお腹が大きくなった気がするね」と言われましたが、自分では全くそんな感覚がありませんでした。

胎動はあるか、出血や痛みはないか、お腹の張りはどうか、など気にすることはたくさんありますが、入院してからはお腹が軽くなったような気がしていたのです。それは、小さくなったのでは?と思うくらい。

これは、ほぼ1日横になっているのもさることながら、おそらく張り止めの点滴リトドリンが効いているのが大きいと思います。

つまり、1日の中でお腹の張っている時間が短いということ。

今更ながら「お腹が張っていない」状態を知ることで、「お腹が張る」という感覚を理解しました。

 

よくお腹の張った状態を「石のように硬くなる」「カチカチになる」「子宮の形が分かるくらい」と表現したりします。

が、私はこれが分かりませんでした。

「石って相当硬いと思うけど、そんなになることはあるのだろうか」「まだ弾力はある気がする。カチカチとは言わないな」「子宮の形ってどんななの?」というようなことを、張ったお腹を触りながら思っていたのです。

「そりゃあ、お腹の中に赤ちゃんがいるんだから、突っ張るのは当たり前だろう。」と。

感覚を言葉で伝えるのは難しいものですね。

 

でも、張らない状態を知っている今、お腹は張っていなければ軽いし、柔らかい。「お腹を支えながら歩きたい」なんて思わないよーと、当時の自分に教えてあげたいです。

おそらく、7ヶ月頃には、重くて突っ張ってきついなと思うことが増えていました。でも、下腹部だけのような気がしたし、耐えられないほどでもない。妊婦帯を買って、楽だなぁと思ったのを覚えています。

 

ベッドの上で反省するのは、仕事との付き合い方です。

基本的にはデスクワークなので、それほど動きすぎということはなかったと思うのですが…。でも、ペースは落とさずに働いて、疲れを感じることはしばしば。立場上、いくらかはストレスもあったなと思います。

同時期に妊娠した友人は、病院で「仕事は6割、帰宅したらすぐに横になりなさい」と言われたそうです。

それを聞いた時の私は、仕事は6割って…そりゃあさすがに無理でしょう!と思っていたけれど、心持ちとしてはそれくらいセーブするくらいが良いのかもしれません。仕事をしていたら、否が応でも無理はするでしょうから。

 

妊娠していたら、身体がしんどいのは当然だと思っていました。それはその通りだと思いますが、その上での自分へのケアが足りなかったなということが反省として残ります。

もっと周囲にうまく甘えられるようにならなければ。だいぶ仕事を任せるのも慣れてきたなと思っていましたが…。私の大きな課題です。

 

次に妊娠することがあったら、その時は「張り」も分かるはず。

今この入院生活を経て、身をもって分かることが沢山あります。

反省しつつ、前進していかなければ!と思っています。

 

33w3d&33w4d 切迫早産入院3日目&4日目

◆33w3d 入院3日目  病室へ移動

ゆうべは2時間おきに起きた。

とにかく喉がよく乾く(これもリトドリンの副作用みたい)。それから明け方4:00くらいには吐き気も出てきた。痛みよりも吐き気の方が嫌だなと思いながら、なんとか耐える。少し寝て起きたら、ほとんど吐き気は消えていた。

昨日と同じように朝食をとり、モニターチェック。今日は少し、お腹がよく張る気がする。

今日の検温の時にでも、病室に移る旨を伝えてくださいとのことだったので相談すると、30分程して、1階上の病室へ移動開始となった。

荷物はすべて持ってもらい、私は車椅子に乗り、点滴台を車椅子の前で操作して進む。ちょっとしたアトラクションみたいで楽しかった。

大部屋だけれど、部屋には私の他に1人いるだけ。この方も明日には退院みたい。入り口に名前の札をかけられて、本格的な感じがした。

部屋は角の1番広いスペースで、窓が大きくて今朝までと明るさが全然違う。

テレビもあるし、扇風機もある。心なしかベッドも柔らかくて(昨日までのベッドは硬かった…)広い。お茶のセットが自由に使えて、タオル掛けもある。分別できるゴミ箱も。

いかにも「入院」というかんじ。

改めて今までの部屋は仮の部屋だったのだと思うけれど、あまりの違いに恐縮してしまう…。

 

部屋のもう1人の方の苦しそうな息づかいが聞こえるなーと思っていたら、夕飯時に陣痛が本格的になってきたようで、陣痛室に移動していった。今夜生まれるのかな。

がんばって!と思いながら、自分の時を想像して、ちょっと不安になってしまった。

点滴を抜いたらすぐに陣痛が来た、なんて話も聞くし、それは困るなと思いながら…。

 

夜のモニターはよく張った。30分間で大きめの山が3回。痛みを伴わなければ、10分の間隔があるので大丈夫と言われて安心。

食事後はグルコースの影響で張りやすいというのが、本日知った新しい知識。実感していたから、納得&安心した。

 

今日、母親に洗濯物を回収に来てもらったので、明日は誰も面会には来ない。時間や持ってきてもらうものの打ち合わせもないため、仕事後の夫と少しラインをして、日付が変わる前に電気をすべて消した。

 

 

◆33w4d 入院4日目  入院後初の診察と涙

 入院してから1番よく眠れてすっきり!トイレには起きたものの、「寝た」という感じがした。やっぱり環境が良くなったからかな。

朝食後に 、急遽先生の診察が入った。昨日の夜にけっこう張ったからかな?と看護師さん。

子宮頸管の長さは15㎜…。

み、短くなっている。測ってもらう時に、お腹が張っていたせいだと思いたい。

先生いわく「あと1週間は大丈夫でしょう」。でも、1週間しても、まだ34週目なんだけどな。

「まだ張る?」という聞き方をされたので、状態が落ち着けば、張りも収まるのかもしれない。極力安静にしていよう。

来週半ばに、また診察があるとのこと。この日で退院の目処がつく気がする。

 

隣の方が帰ってきた。看護師さんとの話によると、点滴を抜いての張り返しだそう。「生まれるかと思っちゃうくらいだよね」と話していた。「なんとか37週までがんばって」と言われながら、退院していかれた。

私も点滴を抜いたら、強い張り返しがあるのかな。すっかり点滴のお世話になっているから、抜くのがこわい。

 

今日は入院してから初めて、誰も来なかった。母が来てくれる日だって、滞在時間は30分くらいなのに、なんだか全然違う。

夕飯時にふと、不安と寂しさから涙が込み上げてきた。初日は「病院の食事なのに豪華!美味しい!」と思っていた食事が、急に味気ないように感じられた。

まだ、4日しか経っていないのに。

しかも、我が家は夫の帰りが日付が変わるかどうかくらいの時間なので、夕食は1人で食べることがほとんどだ。

1人で食べるのは慣れているはずなのに。

私は今回が初産だから、自分の寂しさだけどうにかすれば良いけれど、お子さんがいて入院生活をされている方は、どれだけ辛い思いをされているのだろうか。

そんなことを考えていた。

 

夜、部屋に出産を終えた家族がやってきた。明日には個室に移るみたいだけれど、やっと引っ込んだ涙がまた出てしまう。

「すごい。がんばったんだなぁ。幸せそうだな。」という気持ちと、「私は無事にそこまでいけるのかな」という気持ちが交錯して複雑だ。

先が見えないことが不安なのかな。

この気持ち、何なのだろう。

 

33w1d&33w2d 切迫早産入院1日目&2日目

◆33w1d 入院1日目

夫には仕事に向かってもらい、母親に連絡。必要なものがわかり次第、連絡することにして病室へ。

問診&説明を受けた後、入院着(パジャマ)に着替えて早速点滴開始。

「リトドリン」という張り止めの薬を2A(これは2倍という意味?)、1時間に30mlずつ投与していくとのこと。これからは24時間、この点滴と一緒に過ごすことになる。

点滴は流産した時に、病室で回復のために打ってもらって以来、人生2回目。けっこう太めの針だそうで、なかなか痛い。腕を置く位置によってはズキズキ痛んだりして、「そのうち馴染むのかしら」と思うばかり。

血が少し逆流?してチューブの中に溜まっているのを見ても、大丈夫!?とドキドキ。いちいち不安なことばかり。試行錯誤の末、血を戻す?ことに成功。看護師さんに聞いたところ、気にしなくていいよという風だった。

夜中には点滴の機械の充電がうまくされず(トイレの度に電源を外すので、おそらく戻す時に差し込みが甘かった)大きな音が鳴ったり、薬液が切れて音が鳴ったりと、初日は点滴に翻弄された日だった(笑)

ひとまずの荷物として、両親にペットボトルの水4リットル分、コップ、歯磨きセット、タオル3枚、ビニール袋数枚を持ってきてもらう。

今日1日でNSTのモニターチェックは2回。

食事も美味しくいただき(夜食にケーキまで出てびっくり!)、あっという間の1日。

夜までに必要そうなものをひと通り考え、夫にお願いをした。

 

◆33w2d 入院2日目

今日で、だいたいの1日の流れをつかむことができた。

8:00   朝食

9:30  検温&血圧検査、モニターチェック、問診

12:00  昼食

13:00頃  温タオルとおしぼりタオル配布

16:00  モニターチェック

18:00  夕食

19:30頃  夜食

21:00  モニターチェックorドップラー検査

時間があるなぁと感じるのは、昼食後と夕食後。でも、夜中にあまりよく眠れないので、うとうとしていると、いつの間にか夜になっている感じ。

体調は、リトドリンの副作用で、動悸・手の震え・体のほてりが出てきた。

動悸と手の震えは我慢できる範囲だけれど、ほてりが強くて汗がダラダラ。もともと汗をよくかくほうなので、部屋が暑いのかと思っていたけれど、面会に来てくれた母親曰く「そうでもないよ」と。看護師さんに伝えると、副作用とのことで、アイスノンを貸してもらう。これだけで全然違う!

ところで、今いる部屋は「回復室」と言って、仮の部屋?のよう。ここでひとまず様子を見て、入院申請書を提出すれば、入院用の病室に移れるみたい。

特に今の場所で不便は感じていないけれど、説明してくれた看護師さんの様子だと移った方がよさそう。

書類はもともと提出する予定だったけれど、ベッド代の差額が〜などと書いてあってよく分かからなかった。つまり、この回復室との差額ということのよう。

どちらにせよ移るなら早い方がいいかなということで、書類は後日提出することにして、明日の朝移してもらうことに。

 

夫の用意してくれた荷物は、朝のうちに実家に届けてもらい、さらにそれを両親に届けてもらった。お願いしていたものが、すべてきれいにパッキングされていて感激。

夜にポーチを開けると、頼んでいないお菓子と手紙が。それを見た瞬間、笑いと涙がこみ上げて、

この人と一緒にいられて本当によかった。

この人との子どもを今私は守ろうとしているんだ。

と、気持ち新たにがんばろうと思えた夜だった。

 

33w1d 切迫早産。入院へ。

前の日の夜、やけにお腹が張るなと思っていました。というか、この期に及んで、感覚はどちらかというと「皮膚が引っ張られて苦しい。これ以上伸びないよー」でした。

でも、なんとなく心配だったので、お風呂はシャワーだけで簡単に済ませて、すぐに就寝。夜はまぁまぁ寝られたかなといったところでした。

夜中に何度かトイレに行ったけれど、特に異常なし。朝一番のトイレも同様でした。

 

そして、10:00頃にトイレに入ったら…!!!茶色いおりものがシートについていました。少し拭いたら、微かにピンクの混ざったおりものも。

ひとまず、指示を仰ぐために病院へ電話。「診察しないと何とも言えないので、午前中のうちに来てください」とのこと。

ちょうど夫が仕事へ行くところでしたが、タクシーをつかまえてきてもらって、病院へ一緒に向かいました。

鮮血でない。大丈夫だ。

そう思いながら落ち着いて、入院になるかもしれないと、携帯の充電器、読もうと思っていた名付けの本、両親学級のテキスト、汗拭きシート、ナプキンとおりものシート、両親からもらったお守りなどをバッグに入れるのも忘れませんでした。

 

副院長先生の診察。

子宮頚管長は19mmくらい。赤ちゃんが下がってきてはいるが、子宮頚管長の縮んだ分は誤差範囲で、積極的に早産が進んでいる感じはしないとのこと。子宮口も開いていない。

赤ちゃんの体重は、2200gは超えているという話でしたが、それでも今生まれてしまうと大きな病院に搬送になるということでした。

「あと少し…いや、36週まではやっぱりお腹の中にいてほしいな」「ですよね!なんとか耐えて、いてもらわないと」なんて会話をして経腹エコーが終わったあと。

「張るんだよね?」「そうですね。横になれば治ることも多いですが…。やっぱり夕方から夜にかけて張ります。」という会話をして、先生から「入院する?」とのお言葉。

絶対に入院!という感じではありませんでしたが、「入院すれば点滴も打てて張りをコントロールしやすいし、安心じゃないかな」ということで、少しだけ迷いましたが、お願いすることにしました。

家にいたい気持ちは山々ですが、今回はお腹の張りだけでなく、出血らしいものが見られたことが大きな決断の要因になりました。夜中に生理痛のような腰痛腹痛があることもあったのも、頭をよぎりました。

流産のこともあるし、心配事があるたびにネットで調べて不安になるよりも、入院してしまった方が精神的に健康でないかと考えました。

夫も、私は油断してすぐ動くから、入院させてもらえたら安心だと励ましてくれました。

 

夫と別れる瞬間は、なぜか少しだけ涙が出ましたが…。

 

先生によると、10日間が目処。

とうとう入院生活のスタートです。

選択肢を多く持っていられる人でありたい

パラリンピックの閉会式を観ていたときのこと。

東京への引き継ぎのパフォーマンスで感激して涙が溢れました。

 

生まれつき与えられたり、病の後遺症であったり、突然の事故であったり。その理由は様々ですが、障がいと共に生きることになった彼らの素晴らしいパフォーマンスを観ながらふと思ったのです。

「彼らは、これから生まれてくる子どもかもしれないし、家族かもしれない、そして、私かもしれないのだ」って。

その時に、こんなにかっこいい選択肢があるのだということを伝えられる親でありたいし、選べる私自身でいたいと思いました。

 

もちろん、私たちに「かっこいい」と思わせてくれる彼らが乗り越えてきたものは、計り知れないものなのだと思います。それは、私の想像なんかをはるかに超えるような。

 

それでも、知らないより知っていた方が良いし、何かの時に思い出せるようでありたい。

オリンピックもパラリンピックも、競技、セレモニーともに、素晴らしい毎日でした。

 

リオで、日本のパラリンピックはまず一歩踏み出したなというかんじがします。(私のように、今までで一番競技を観たという人が多いでしょうから。)

 

次は東京!

とてもとても純粋に、楽しみにしています。

 

32w6d 産休と仕事への思い

今朝、朝刊を読んでいてふと思ったこと。

「そろそろ観念して、産休生活に変えていかなくてはいけないな。」

ということ。

仕事をしているときは、朝にゆっくり朝刊を読むことができませんでした。夜に夕刊と一緒に(なんなら数日分まとめて)読んでいました。だから、ふとゆっくりと朝に朝刊を読む自分に気づいて、そう思ったのかもしれません。

 

ちょうど1週間前、先週の月曜日に正式に産休に入らせていただくことが決まりました。

状況が変わらなかったことを上司に伝えると、「そうかー。じゃあ、このまま産休に入るっていうのが現実的だね。」と。恐縮する私に、「無理することはないよ。元気な赤ちゃんが生まれるのを楽しみにしてるから、がんばって。」と、この上なく優しい言葉をかけてくださいました。

こんなに気持ちよく背中を押してくれる会社に感謝しつつ、体調のことを考えるとほっとしたのと同時に…。がくっと落ち込み、切なくなりました。

きっとそれは、あと数週間できれいに仕事を引き継いで、「やりきった!」と思って気持ちよく産休に入りたかった私のひとりよがり。

夫に報告すると、「想定内だよ。少しずつ引き継ぎはしていたんだし、考えすぎ。いい機会だし、周りのみんなでクリアしてくれるはずだよ。みんなに感謝して休ませてもらいなさい。」というような内容で返事が。よく分かってるなぁと思いました。

立場としては、私は今、部署の責任者で、それを後任の同僚に引き継ぐことになります。よく言う「仕事がなくなったら…」とかいう不安はまったくないものの、ばたばたと引き継ぐことに強く申し訳なさを感じています。変に責任感が強すぎて、真面目すぎるのかも。(全てにそういうわけではないのですが、こと仕事になると、そういう性分が発揮されます…。)

この部署へは、新しいプロジェクトが始まったときに異動をして、そこから数年かけて育てたという自負があったのだと思います。この間は、手探り状態でとにかく必死に前へ前へ進んできました。くたびれたなと感じることや、逆に大きな達成感を感じることもあり、また、女性ばかりの部署のため、子持ちの同僚との付き合い方に悩んだりもしました。

その仕事と、こんなに突然、切り離されてしまうんだなと。先週は突然すぎて訳がわからなかったけれど、徐々に冷静になってきたということなのだと思います。

 

それから、さらに1週間。

同僚から相談の電話をもらったり、少しずつ家で仕事をしたりはしています。でも、パソコンに向かっているとお腹が張って長時間の作業は難しいし、やっぱり産休は仕方のないことだったのだと実感します。

個人的な目標としては、あと2日ほどで引き継ぎきれなかった仕事を終えて(パソコンでやりとりしています。便利な時代!)、自分の気持ちに区切りをつけたいと思っています。