山が待っている。

「流産」という山から、わが子を腕に抱いて下山できました。どんな山も無事に下山できるように。ひとつひとつをクリアする過程を書いていきます。

進行流産 =病院にて=

タクシーの中でも腹痛と貧血状態は続く。

きれいな真っ白のカバーがかけられたシートが汚れないようにしなくちゃ、と思っていた。

夫の腿に頭をのせて病院へ向かった。

 

病院のインターホンを押すと、しばらくして車いすを押した看護師さんがやってきた。車いすには防水シートのようなものが敷かれていた。

お腹が痛くて前かがみになっていた私は、初めて乗る車いすをありがたく思った。

 

車いすのままLDRへ。

分娩台に横になったところで、看護師さん2人に着ているものを脱がせてもらう。もう、なされるがままで、夫にも手伝ってもらって入院着に着替える。

「出血がひどいね」

先生が来る前に、看護師さんが私のお腹をぐっと押した。

そんなに痛くはないけれど、「そんなに押さないで!」と思ったのを覚えている。まだ守りたかったのかな。

あとで母から、出産後に胎盤などが出てこないときにそういう処置をすることがあるのだと聞いた。

 

先生が来るまでに、点滴を打ってもらった。

その間に医療従事者かと聞かれた。違うと伝えると、「冷静な連絡だったから」とのこと。あのときに経産婦か聞かれたのも、そのせいかもしれない。

人生初めての点滴だ。ドラマみたい。と思っていたら、隣の部屋?から、赤ちゃんの泣き声が聞こえた。

産まれたんだ・・・。

その泣き声を聞いていたら、やっと涙が出てきた。

「悲しい」とも違う気がした。そのときは感情のない、ただ、さらさらと流れ続ける涙だった。

 

到着した先生はTシャツ姿だった。気まずそうな顔。

夜中に起きて来てくれたんだ。申し訳ないな。産婦人科医が減っているのもよくわかる。

そんなことを考えていた。

 

「子宮の中を確認しますね。」

という言葉から処置が始まった。

2回くらい、器具を入れて内容物をとっているようだった。

痛くて我慢できないことはなかったけれど、違和感がものすごくて力が入ってしまう。

看護師さんと夫の手を握りながら、「ふーっ!ふーっ!」と息を吐く。

最後にエコーをして、「もう1回」と言われたときは、「やだー!」と心の中で思った。

 

処置のあとに採血をして、すぐ検査をしてくれた。

出血量が多かったので、貧血になっていたらその対応もするというようなことを言っていたと思う。

少しして先生がもう一度来て、「原因はわからないけれど、白血球の数が通常の倍以上あるので、感染症の可能性もある。」と説明があった。

先生は最後にどういう言葉で締めればよいのか迷っている風だった。両手を軽く握って、話すたびに少し揺れる。

「昼間元気だって言ったことを覚えていますか?」

先生に聞きたかったけれど、聞けないまま、先生の説明は尻切れトンボで終わった。

ネットで何回も見た、「この時期の流産は仕方がない」という内容の話もなかった。

 

結局点滴をもう1種類増やして、2時間くらい病院で横になっていた。

処置後の1時間は夫とたわいもない話をした。本当にたわいもなく、流産した後の会話ではなかった。内容も覚えていないくらい。

最後の1時間は2人とも寝てしまった。

途中で、看護師さんが毛布を掛けてくれた。

清潔な洗剤の香りがした。