山が待っている。

「流産」という山から、わが子を腕に抱いて下山できました。どんな山も無事に下山できるように。ひとつひとつをクリアする過程を書いていきます。

夫への感謝

自分のために。

夫はあれから一度も流産した赤ちゃんを見ていない。私がふとした時に写真を見ていても「まだ無理」だと言う。
私は多分、これからもずっと彼が写真を見ることはないんじゃないかな、と思っている。
それくらい、あの夜の出来事は夫にとって壮絶でショックだったのだと思う。

私が仕事に復帰するまでの1週間は、できる限り一緒にいてくれて、特別何かを話すわけではないけれど、寄り添っていてくれたのを感じていた。
母は、夫がきちんと私と向き合ってくれていたことに感謝していると言っていた。
そういうことだったのだと思う。
子宮収縮剤の影響で腹痛がひどかった時、絶妙なタイミングでラインに変なスタンプを送ってきて笑わせてくれたことがあった。些細なことだけど、わかってくれているなと思った。

病院をどうするか、仕事復帰のタイミングなど、私の頭が働いていない時には、アドバイスをくれた。と言っても、そうするのがベストだろうという考えを伝えてくれたというほうが合っているかな。

そんな風に夫はがっちりと私を支えてくれ、両親と一緒に私がどこかへ落ちていかないようにとどめていてくれたと感じている。
だから、しっかり悲しみと向き合えたし、1週間で外に出られるようになったと思う。

でも、実は夫がどれだけダメージを受けていたのかは、私も彼の姿を見て気づいていた。
私が家にいた1週間は、仕事から帰ってきてつけるテレビは全部、録画してある山番組だった。山の景色を見て「きれいだな。行きたいな。」と言うばかり。
夫だって悲しく辛いのだと気づかされる瞬間だった。

こうやって、自分が悲しみの中にいながらも私を支えてくれる夫を見ていて、今度はしっかりと、「この人と子どもを育ててみたい」と思うようになった。
そして、両親の優しさを感じながら、こういう風に家族になりたいと思うようになった。

流産を経て得たものがあるとすれば、これがそれだ。