山が待っている。

「流産」という山から、わが子を腕に抱いて下山できました。どんな山も無事に下山できるように。ひとつひとつをクリアする過程を書いていきます。

流産後の仕事復帰

私が仕事を休んだのは流産翌日から1週間。
はじめは4日休んで1日リハビリ的に出勤して、翌週から本格的に復帰しようと思っていた。でも、子宮収縮の痛みが強くて、結局5日間休むことになった。

月曜日の上司への連絡は、仕事モードになっていれば絶対大丈夫だと思っていたのに、理由を話す時には涙が出てしまった。二言目には引っ込んだけれど、30秒も話せなかったと思う。
同僚へは、妊娠を伝えていた1人にだけ流産のことを伝え、他のみんなには伏せておいてもらった。
それからは毎日仕事の報告はしてもらっていたものの、その連絡をもらう時間以外は、仕事がすっぽり私の時間から抜け落ちていた。
病院では2、3日休めば仕事に行ってもよいと言われていたけれど、3日休んだくらいでは仕事にならなかったと思う。ネットを見ると、それくらいで復帰している人もいっぱいいて、こんなに長く休んでいていいのだろうかと思う日もあった。
でも、1週間家に籠って悲しみと静かに向き合えたのは私にとって大切な時間だったと思う。逆に、1週間経って、夫に「無理して行かなくてもいいよ」と言ってもらったけれど、ここで行かなかったらずっと行きたくなくなる気がする、と感じていた。

ひとつ気になっていたのは、復帰後みんなに休みの理由をどう伝えるか。私は普段めったに休むことのない健康体なので、急に1週間も休むなんて何だろう、と周りは思っていたと思う。いっそのこと流産だったと言ってしまおうかと頭をよぎったこともあった。でも、周りはほとんど子どもがいる人ばかりで、気を遣わせるのも申し訳ないし、嫌だったから、すぐその案は消えた。
結局、「週末に体調を崩して、そのまま病院から1週間の安静指示が出ていたので」と、本当のような嘘のような理由を話した。最後に「うつるようなものじゃないので、ご安心ください」と言って少し笑った。それ以上突っ込む人はいなかったし、もしかしたら感づいている人もいたのかもしれないけど、けっこう身構えていたのにあっけなかった。
上司には挨拶にいくと体を気遣う優しい言葉をかけてもらって、それには涙が出た。

仕事に夢中になっていれば、何も考えなくていいし、みんなと笑うこともできるし、1週間で復帰してよかったと思った。
ただ、途中、水曜日頃に日付と曜日がわからなくなってることに気づいた。
途中の数日間は家に帰ると吐き気があったり頭痛があったりした。
1週間の勤務を終えると、肩はガチガチに凝っていて、とてつもない疲労感が襲ってきた。
 
そう簡単に「大丈夫」になるわけではないのだということを痛感した。
でも、仕事に救われる日もある。
悲しみを置き去りにして無理やり進んでいるような気がすることもあるのだけれど、否が応でも外に出るということが、前へ進むひとつのきっかけになっているとも思う。